中村医師の活動を支援しているペシャワール会(PMS)について:1983年9月中村医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO(NPO)団体。病気の背景には慢性の食料不足と栄養失調があることから、砂漠化した農地の回復を急務として灌漑水利事業に重点を置いて活動している。診療所、農業事業、灌漑事業、訓練所での技術の普及活動を進めている。この活動費はすべて寄付で賄われている。
1991年医師として派遣されていたパキスタンから、隣国アフガニスタンの険しい山岳地帯ダラエヌール地区に初の診療所を作り多くの人々の命を救っていた。しかも医療活動だけではなく、アフガニスタンに1600本の井戸を掘り、戦災と旱魃(カンバツ)に襲われた国を救おうとした。中村医師は「武力ではテロを断ち切れない。その背景にある貧困の問題を解決しなければならない」と考えていた。
2001年9月アメリカ同時多発テロ事件が発生。ブッシュ大統領が「テロリストたちに正義を突き付けようではないか」と叫ぶ。しかし、中村医師は「瀕死の小国に、世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか素朴な疑問である」と述べた。「アフガンの問題は、政治や軍事問題ではなく、パンと水の問題である。」
「日本だけが何もしないで良いのか、国際的な孤児になるということを耳にしますが、今熟慮すべきは”先ず、何をしたらいけないのか”です。民衆の半数が飢えている状態を放棄して、国際協調も対テロ戦争もうつろに響きます。」
2002年アフガニスタンは難民で溢れ、1万人~2万人の難民キャンプもあった。これまで掘った井戸の水位も下がり再掘削に追われた。しかし、パキスタン政府は地下水の枯渇を恐れ、井戸掘りの禁止を命じた。中村医師は大胆な方向転換を余儀なくされた。
2003年『緑の大地計画』で、アフガニスタンの東部を流れるクナール川から全長13キロの用水路を築き水を送り込み乾いた大地を潤す計画である。写真1列目左と中央のもの。
中村医師の言葉『100人の医師よりは1本の水路が必要だ。』